【「徹底的に言いたいことを言う」その効用】

QT
ニュージーランドは夏真っ盛り

オーストラリアやニュージーランドでの生活も
3年近くが経ち、
その中でご縁ありまして
「自分の得てきた知識・経験・考え方」について
尋ねられるというありがたい機会を
何度かいただきました。

僕自身は
自分の意見を言うことが比較的
好きな性格なので、
こういった機会をいただくと
自分の思っていることを
喜んで話す方なのですが、
そういうことを話す際に
「気をつけておかないといけないな」と感じたり
「そういうことか」と新たに発見したりといったことが
あったので、今日はそれについて
書き留めておきたいと思います。

僕は、自分で言うのもなんですが
かなり意識して
人に気を遣うタイプなので、
誰かと話しているときに
自分の言動が原因で
問題を起こすということは
そんなにないと
(あくまで主観ですが)
そう思っています。

そして個人的には、
どんな立場関係の人とであれ
できるだけ
「(良い意味で)
お互い対等な立場」
であるかのように心掛けて話します。
※挨拶や言葉遣い等
最低限の礼儀・マナーについては、
もちろん自分の立場を
キチンとわきまえた上で
適切に使用しています。

こうすることによって、
(社会通念上)立場が
上の人に対しては
過度なオベンチャラを使わず
中身のある話を重視するため、
そういった姿勢を求める人にとって
僕の存在は
好ましく思われるだろうし、
また、立場が下の人に対しても
できるだけ緊張を解すような
姿勢をとることによって、
彼らもリラックスできて
お互いに良好な関係を
築くこともできるし、
僕自身も彼らから
ノビノビとした本音の意見を
聞き出すことができます。

ちなみに、商社時代のときは環境自体が
徹底的な上下関係によって成り立っていたため、
僕のこの「イーブン」姿勢は
上司先輩からは
「生意気だ」と疎まれたり、
後輩からもナメられたりと、
短期的、表面的な
弊害はありました。
が、僕自身はこの
「とりあえず上下関係に従う」という
システムの非効率で非生産的な
面ばかりに意識が向いていたため、
「立場を超えて、もっとノビノビと
忌憚ない意見が言い合える
環境にした方が絶対に
相手も満足できるだろうに」と
ずっとそう思い続けていて、
この僕の「対等に接する」という
考え方の方が絶対に優れていると、長く僕の中では
そう強く信じていました。

さて、そんな信念を持ちながら、
オーストラリアや
ニュージーランドでも
「自分がこれまでに得てきた
知識や考え方」を
聞かれて話す機会が
何度かあったため、
相手にもできるだけ
リラックスしてもらえるように、
できるだけ彼らの意見も
ノビノビと言ってもらえるようにと
意識して毎回話していたのですが、
何と逆にこのスタンスが
原因かと思われるような
トラブルが
何度かあったのです。

こちらとしては、
相手が尋ねてきたので
僕の見解や知識を
述べただけなのですが、
それが相手の考え方と
大いに異なった場合に、
相手方が感情面で僕の意見に
納得できなかったのか、
結局僕に対して
いわゆる逆ギレ・逆恨みのような
感情を抱いてしまったのです。

その現象に対し、僕も最初は
「おいおい自分から求めておいて
何て自己中で失礼な態度なんだ。
こっちが丁寧に接したことで
逆に安心してそんなワガママな感情をぶつけたというのであれば、
それは恩を仇で返すかのような、
成人として最低の態度だぞ」と
心の中では憤慨しつつも、
一度ならずこのハプニングが
起こったため
これはもう少し状況を考察して
何とか原因を解明し、改善させないと
と思うように。

ここで思い出したのが、例の商社時代の先輩たち。彼らは前述の通り
「絶対的な権威」
「理不尽なことでも、
とにかくガンガン怒る」といった
姿勢を徹底しており、
当時の僕はそれに対して
「何の効用もない」と
激しく嫌悪していたのですが、
よく考えると
そこから何か得られるものがあるのではないか?と。

思えば僕は学生の頃から自身の
「考える力」に強い自信を
持っていたため
いわゆる生意気な性格でもあったし、
納得できないことに対する
怒りや反骨心も強かったので、
その当時の僕の姿勢は
ビジネス営業面においては
まだまだ甘い姿勢だったのですが
だからといってそんな自分の性格や
心構えを変えることは
ほとんどありませんでした。
しかし、これら上司先輩と出会い
「この人たちには絶対に
反抗してはいけないんだ」
という考えが
徹底的に刷り込まれたことによって、
お客さんに対する姿勢等を含め
甘かった自分の姿勢は
実際かなり矯正されることに。

この「キツい指導姿勢」によって得られる
「姿勢の矯正」というメリットは
これまでずっと見過ごしていた
(過小評価していた)のですが、
よくよく考えると
決してあなどることのできない
とても大きな
プラス面なのではないか、と思うようになりました。

心構えや性格、ものごとへの姿勢
といったものを
改善させるというのは、
よほどの強いモチベーションや
キッカケがないと
難しいと思います。
なぜ難しいかというと、
人間を含む全生物のほとんどが
現状の環境や生き方を
維持しようとする本能
(ホメオスタシス)を
持っているから。
ということは、
その現状維持欲求を変えるには、
「現状の生き方では
安心した生活を維持できない」
といった状況に
長期間晒すことが当然有効だろう、と。
なぜ有効かというと、
ホメオスタシス自体が即ち
生物の「生存したい本能」の
ことであって、
生物がこの
「生存したい本能」を
持っている限り
不快な環境に行けばそれに
適応するため新たな習性を
習得しようとするから。


ということで、
「なぜ逆恨み的な状況が
発生したのか」についての
メカニズム解明と対策が
大まかに見えてきました。
次は、具体的にどう
自分の問題へと適用させるか。

単純に考えた適用法としては、
何でもかんでもシタテに出て
プレッシャーを与えないように
話すだけではなく、
違うと思ったときは
ガツンというようにすること。
意見の主張し合いが
日常であるの西洋社会では
皆それに慣れてるので
こちらもズケズケと
主張しやすいですが、
もし日本で
口論自体にあまり免疫のない人へ
ガツンとやってしまうと、
それこそ相手の感情コントロールが
きかなくなって
事件沙汰になっても困るので、
実際これは成人してからの
日本人を相手にやるのは
なかなか難しいそうではありますが。。
いや、ただ自分も
怒り慣れていないから
ビビってるだけかも知れないし、
また一度慣れれば
怒り方の加減だって
ドンドン上手になっていくだろう。
やってみる価値はありそうだ。

結局、怒りというのは
人間にもプロパーで備わっている
極めて自然な感情だし、
愚痴や文句などの
メンタル的な排泄行為も
健全なメンタル維持には
大事なことだと思うので、
できるところからやっていこう。

ということで。
とある友人の協力を得て
すでに2週間ほどお互いに
キツく言う練習をしています。
最初はオッカナビックリやっていて
お互いにホメオスタシスが働き険悪なムードが漂ったりと
危機的状況もありましたが、
「ここからが大事だ」ということで
お互い敢えて引かずに
言いたいこと(耳に痛いこと)を
言い続けてます。

実際に続けてみて感じたのは、
言いたいことをちゃんと言って
険悪なムードもどうにか乗り越えた
(or 言われ慣れた)後というのは
何か気持ちいいというか、
良い意味で相手への気遣いが薄れて
お互いの距離感が縮まるような
感覚がありました。

極端に言えば家族のような、
「お互いに耳に痛いことも
言い合えるけど、
かと言ってそれで
縁が切れることは決してない」
みたいな安心感というか
信頼関係というか。もちろん、お互いの心の内を伝え合うので気心も知れてくる分すれ違いのストレスも減り、長期的にはトラブルも回避できそうに見えます。
ということで、商社時代を含め
ずっと忌避してきたこの
「キツく言う」という姿勢ですが、
ここにきて意外な果実を
見出すことができたので、
前述のホメオスタシスの影響もあり
急に性格を変えるのは難しいものの
何とか意識して上手に
その姿勢の良い部分を
取り入れていきたいなと思います。
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 絶景を見ながらビールで乾杯