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休日に Farmers' Market へ



【愛 - purification of your soul】

不味い食べ物をプレゼントして相手に受け取ってもらえなかったら、その料理は自分の手元に返ってくる。

美味しくて体に良い料理をつくって相手に受け取ってもらえなかったら、その料理は自分が食べることになる。

ケーキやお酒も、相手に差し出して受け取ってもらえなかったら、それらは一体だれが持っているのでしょうか?
そう、「自分」です。


いきなり何の話をしているのか、サッパリ分かりませんね。。
スミマセン。

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今日のテーマは、「愛」について。

※今回は備忘録の要素が強いため、まとまりがありません。ご容赦ください。

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「自分たちを傷つける者まで愛するのが、人間の義務である」
Marcus Antonius(ローマの将軍)

「愛しなさい、そうすれば愛される。愛はすべて数学的で、代数方程式の両側面のように公平である」
Ralph Waldo Emerson(アメリカの哲学者)


「愛は永遠である。たとえ、あなたの愛が報われなくても、その愛は逆流し、あなた自身の心を和らげ、清めてくれる」
Washington Irving(アメリカの作家)

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愛とは何か。


最近、そんなことを考えさせられる出来事がありました。

何があったのかといいますと、現在とても仲良くしている中国人女性の同僚が2人いるのですが、最近、それぞれ別の日に彼女達からイライラをぶつけられたのです。

両ケースとも、最初は「きっと彼女もどこかでイライラすることでもあったのだろう。それをこちらまでイライラで返してしまっては芸がないから、ここは相手のポジティブな面を見つけて褒めてみることで、相手の気分を少しでも和らげてみよう」と思い、彼女達がイライラしている原因や、その問題に対しどう立ち向かおうとしてるかといったことをいろいろと聞いてみまして、そしてその彼女達の問題解決姿勢や行動について個人的に良いなと思ったことに関しては「その考えはとても良いと思う」と、口頭でキチンと相手を肯定するよう努めてみました。

「これで彼女もきっと、気分が少しは晴れてくれることだろう」と期待しながら自分なりにベストを尽くしたつもりだったのですが、残念ながら彼女達から返ってきた反応は両者ともに「何にも良くない!」といった感じで、彼女達の否定的な反応を覆すことができなかったのです。

そして、この彼女達と僕との間に起こっている状況がそのとき全く理解できなかった僕は当惑してしまいまして、「何とか気持ちを落ち着かせてほしいと必死でこちらは頑張っているのに、その尽力に対し何て子ども染みた反応なんだ!」 「…だけど、こちらのやり方にも何か問題があったのだろうか…?」と、彼女達に対して憤慨したり落ち込んだりしてしまいました。

しかし、この想定外の状況を解明しないまま、今後も同じような状況になったときにまた同じ目に遭うというのはやはり良ろしくないだろうと思いましたので、今回のようなケースで「何が自分を不快な気分にさせたのか」、「どういう対策を取れば、不快な気分に陥らずお互いにより良い結果を生み出せるのか」について、自分なりに考えてみることにしました。

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【 何が自分を不快な気分にさせたのか 】

今回の両ケースをよくよく検討すると、先ほど僕は「良いと思ったことは肯定した」と申しましたが、正直な心境を打ち明けますと、「すぐに相手からポジティブな言葉や感謝の気持ちを返してもらえるようにするには、どうしたらよいか」ということばかりに意識が向いていて、相手の考えに対し個人的に良くないと思った部分に関しては「これを指摘するとネガティブな反応をされそうで困る!」と思い一切口に出さなかったのです。

このように振り返ってみると、どうもこの辺りに問題がありそうな気がします。

もしかしたら、彼女達が求めていたのは「ただ優しいだけの慰めや共感、同情」といった類のものではなく、「ビシッと良くないところも指摘してくれる、本当の意味で彼女達のためになるアドバイス」だったのでしょうか?

と、ここまではあくまで推測の域を出ない考察なのですが、次に、この相手の反応に対しナゼ僕自身が不快な気分になったのか。

これについては数日考えてみたのですが、下に述べる考え方(例え方)が現在の自分の中では一番シックリときているので、このブログに備忘録として書き留めつつ、今後似たようなケースが再発した場合に果たして同様に当てはまる考え方なのかどうかを、このさき何度か再検証していきたいと思います。

『自分が不快な気分になったメカニズム(哲学的)』

・「相手に与えた物を相手が受け取ってくれなかったら、それは多かれ少なかれ自分に返ってくる」という法則が存在する。
※これは物に限らず、気持ちや言葉についてもある程度おなじように考えることが可能。
・相手の良いところ、相手が克服していることや長所などを褒めるという行為は、喩えるならケーキをあげているようなもの。たまに食べると甘くて美味しいかも知れないが、三食ずっとこればかりだと体にも良くないし、気持ちも悪くなる。
・耳に痛いことでも相手のためになるであろうアドバイスや真実、真理の類などを伝えることは、喩えるなら野菜をあげているようなもの。人によっては味気なく感じたり不味いと感じたりするかも知れないが、三食ずっと野菜であっても大きな問題にはならないし、健康を保ってくれたり成長を助けてくれたりもしてくれる(少なくとも害になる可能性は、限りなく低い)。
・以上より、僕は彼女達に対しケーキを与え続け、それを受け取ってもらえず僕には不要なケーキが自分に返ってきたため、不快に感じた。
※この喩えだと、「もし僕がケーキ(慰め・共感・同情など)を必要としていた場合は、たとえ相手が受け取ってくれなくて自身に返ってきても不快に感じないハズじゃないか?」という疑問も出てきますが、その検証は機会があれば改めてするとして、とりあえず今回はノータッチでいきます(もしかしたら、人は誰もケーキを本当の意味では必要としていない、という可能性もありそうですが)。

【 どういう対策を取れば、不快な気分に陥らずお互いにより良い結果を生み出せるのか 】

・前述の「野菜(耳に痛いことでも相手のためになるであろうアドバイスや真実、真理の類)」を相手に与える。
・そうすると、最初は相手も怒り出したり泣き出したりといったネガティブ(と一般に評価される)な反応をするかも知れないが、いずれ相手の成長(精神的な)に繋がる可能性が出てきて、最終的には相手とより良好な関係を築くことができる。
※相手が全く不快な気分を返上できないままであった場合は、それはそれで「お互いの精神レベルが違っていた」というだけのことであり、そのまま疎遠になるか、それともお互いに精神レベルを近づけるよう努力するのか、はたまたお互いの精神レベルの違いを尊重したまま付き合い続けるのか、いずれにしても「本心を包み隠したまま」でいた頃よりもよっぽど前向きな(あるいは満足のいく)結果になるのではないでしょうか。
・そして、たとえ相手がこの「野菜」を受け取らなかったためそれが自分の手元に残ったとしても、別に自分の体にも良いものなので、不快な気分に陥らないように済ますことができる。
喩えではなく実践的な考え方に置き換えると、たとえ耳に痛かろうが相手のためになると本心からそう思えるような心のこもった意見を相手に伝えたにもかかわらず相手がネガティブな態度を変えなかった場合であっても、「こちらは全く悪意もなく、嫌われるリスクを負ってまでただただ相手のためにできることをし尽くしたんだから、もう後の反応については相手に任せよう。相手の反応についてはもはやこちらが関知する範囲のことではないけれど、もし遅かれ早かれ僕の意見が『役に立った』と感じてもらえるときが来てくれたなら、それはそれで嬉しいな」といったような姿勢を常に心がけることができれば、少しは自分の不快な気分を減らすことができるかもしれないし、上手にやれば常に清々しい気持ちでこの考え方を実践していけるかも知れません。

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しばらく、以下の合言葉を普段から心で唱えるようにしつつ、様子を見てみたいと思います。

「人と接するときは、野菜をあげるように心がけよう。その野菜は、もしもらってくれなくて自分の手元に残っても不快にならないような野菜であるように 心がけよう」

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タスマニア生活での完全オーガニックな野菜料理