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9月下旬のニュージーランド。
こちらも春はキレイな桜が咲きます。

※今回も、自分自身の備忘録としての側面が強い内容となっています。

【美しい生き方】

引き続き同僚の中国人Aが何を言っても腹の立つ返事をしてくるので、気分が悪くなり久々に憎しみの感情を覚えてしまいました。反省。。

ただ、それは社会的に責められるべきことや疚しいことを彼女がしてしまった際、僕が共感や許しの言葉をかけた場合に特に強く起こります。
→彼女は彼女自身の良心がとがめているとき、許してもらうよりもむしろ叱責されたいのかも知れません。まるで「叱責されないと疚しさから解放されない」というようなプログラミングが彼女の中でできあがっているかのようです。
※この仮説が正しかった場合、そんな中で共感・同情・許しの言葉を与えるのは却って彼女の浄化を阻害することになっていたのかも知れませんが、その場合の彼女の救い方は前回の通りなので、今回はここを掘り下げません。

このトラブルに対して、初めは前回のブログで書いた通り、甘い許しの言葉ではなく苦くても栄養のある言葉を与えることが一つの解決法だと思いましたが、今回は何が問題かと言いますと、自身が慣れていない或いは根本的にその方法が好きでないからなのか、この解決策の効果が彼女に現れるかどうか以前に、彼女を叱ること自体ができないわけです。

このように彼女を叱ることができない原因は、「僕は後輩なので、注意するのは おこがましい」、「彼女はグチや泣き言や文句が多く建設的な会話の少ないタイプなので、注意はおろか会話する気にもなれない」、「被る必要のないトラブルにも巻き込まれたくないので、素性の不詳な人を怒らせるかも知れない危険な行為をワザワザとりたくはない」等の感情が彼女に対して働くことがメインだったのではないかと思います。

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実は先月末から先週まで3週間ほど長期的なメンタル不調に悩まされていたのですが(なかなか解決できない問題がたまたま重なったのが恐らくの原因)、先日そんな参った状態でいると これまた同僚の中国人Bが様子を察して声をかけてきてくれたので、これまでのイキサツを聞いてもらうことに。

Bからの回答は、「どうでもいいことにまでイチイチ全力をそそぎ過ぎ。効率が悪い。相手に合わせようとして心にもない優しい言葉を無理に彼女へかけているように見えるし、もしそうだとしたらそれはエネルギーを浪費しているだけでしかない」でした。

もし僕の見据えるゴールが「自分の今の力量でオーバーヒートしてしまわないような、楽な生き方をする」であったとしたら、Bのアドバイスは正しいでしょう。
ただ、実際の僕のゴールは「美しい(定義は後述)方法から外れないままで、彼女との関係を改善する」だったため、Bに対し「精神がマイっているのは事実だけど、だからといって普通の人なら諦めるという理由だけでは僕はまだ自分のやり方を諦めたくない。僕はただやりたい方法を自分で選択してやっているだけだし、今回のBのアドバイスもBの考えるゴール自体がそもそも僕のゴールと違っているから、Bのゴールを基準にして考えると無駄な行動に思われても仕方ないが僕のゴールの基準では今も着実に自分のゴールに向かって歩を進められていると思う」と答えました。案の定Bの理解を越えていたようで「普通の人になりたくないって、あなた abnormal(異常)になりたいの?」と言われる始末でしたが。

僕自身がとても頑固で変わっていること自体は別に否定しませんが、テクニックで使うだけならまだしも、ミイラ取りがミイラになるかのごとく彼女達と同じ次元の価値観にハマってしまうことは避けたいのです。その価値観が「自分の人生をより良くしてくれる」と どうしても思うことができないので。

なぜその価値観を自分は忌避するのか。また一週間ほど悶々と考えて、先ほど少し納得のいく考えにたどり着きました。

その考えとは、僕が「美しい生き方をすることが、自分の人生をより幸せにしてくれる」という価値観をもつようになっている、という考え方です。

ここでいう「美しい生き方」とは、

・目先の小さな利益ではなく、たとえ最初は損失のように見えても長期的にはより大きな利益となるようなもの・ことを優先する生き方。
・物質面の充実よりも、精神面の充実をより重視する生き方。

【具体的な事例】
・Aや白人の同僚は、仕事に少し遅れてきたり仕事中も少しでも休み時間を多く取ろうとしたりと、躍起になって目先の小さな利益ばかり追い求めているが、上司に見つかって怒られ不機嫌になったりと、長い目で見ると彼らの生き方は必ずしも「より幸せになっている」ようには見えない。
・前述の通りBから「無駄に努力をするな」と言われたが、そんな彼女は永住権を欲しがっているのにそれに向けた努力をしておらず、こちらが有益な情報を教えても「その方法は面倒だから取りたくない。もっと楽な方法じゃないと頑張れない」と返し、いつも会話の締めくくりは「Life is hard」。僕はこのように努力をしていないのに結果が出ないことを嘆く人の話を聞くのは好きじゃないし、自分もそういう嘆きは自分からはできるだけしないように心がけている。
・僕は、「お金に不自由がなく何でも買えるのに嫌な人に囲まれる生活」よりは、「贅沢なものは何一つ買えないけど、嫌な人と関わることなく、一緒にいるだけで幸せになれるような人達と暮らせる生活」の方が好きだ。「安いシェアハウスでグチばかりケンカばかりの家に住む」よりは、たとえ2倍の家賃でほとんど貯金ができなくなってしまっても、「建設的な会話のできる気持ちの良い人と暮らす生活」の方を好む。この話をすると賛同してくれる人も多いが、いざフタを開けてみるとたとえ僕の意見に賛同している人でも結局のところ前者のような行動を取っているケースは決して少なくない。
※自分も毎回必ず思った通りの環境を手に入れているわけではないが。

僕は問題が発生したとき、それが難解な場合および解決までに時間がかかる場合はもちろん「その未解決な問題が早く終わってほしい」と抑鬱状態になったりもするが、その未解決問題の「終わらせ方」については「脱落したい」と思う以上に「強くなって乗り越えたい」と考える。「脱落するのは、みっともない」という虚栄心がモチベーションになっている部分も大きいが、できれば何事もハッピーエンドで終わらせたいのという欲望もあるし、問題に対し「ダメだ。できない。無理だ。能力が足りない」と思うよりは「どうしよう。どうやったらここに残ったまま無事に解決できるだろう」と建設的な方向に物事を考えたいタイプだと思う。もちろん絶望的な気持ちになることも少なからずあるが、たとえ絶望的な気持ちになったときでも、命や信念(上記の「美しさ」に対する信念)を冒されるギリギリまでは、後ろではなく前を見ていたい。

以上、自分の心のメカニズムとその操縦の仕方が少しずつ見えてきたので、これからは負のエネルギーを長期間ぶつけられてマイってしまったときに下記の考えを思い出すようにし、この考えがいつも自身のメンタル改善に効果を出すのか、そしてまたこの考えが自分にとって無理なく長期に渡って行えるものなのかについても検証していきたいと思います。

【今回の教訓】

『相手に 負のエネルギーを長期間ぶつけられマイってしまったときは』

自分にとって「美しい」と感じる生き方ができているかどうかを再確認。もしそれができていれば、「相手ばっかりストレス発散できて、何だか自分だけが損をしているような気分だ」と無駄にストレスを溜めることなく、「自分はこの人と同じレベルの利益や幸せを求めているわけではないし、この人と同じレベルの人生を歩みたいわけではない」と、上手に自分の気分が害されるのをサッと避けることができる。