Still Alive 渡辺絢也ブログ

このブログで、いろんなことを試していきます。

カテゴリ: 人生哲学

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今年の日本の夏は暑かったようですが、南半球のこちらは、雪が降ったりマイナス10℃になったり、でした

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給料に見合う分しか働かない人は、けっして、それだけ以上のものは得られない。

家から出る時は、
姿勢を正し深呼吸すること。
出会う人々には笑顔で接し、
握手には心をこめること。
誤解されることになど心配せず、
無用なことに心をわずらわさないこと。
やりたいことをしっかりと心の中で定め、
その目標に自分の力を注ぐこと。
このことを守れば、いつのまにか、
あなたの叶えたい願いを
達成するために必要なものが全て、
自分の手の中にあることに驚くことになる。

エルバート・ハバード
(アメリカの思想家、作家、教育者、講演家)

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最近、バレーボールやバドミントン、ゴルフと、余暇のスポーツのため筋トレを始めた渡辺絢也です。

また職場でイライラや悲しくなることがあったり、逆に嬉しいことや感化されることもあったので、また備忘録を書きたいと思います。

最近の僕の職場は社員の入れ替わりが激しくなっているのですが、今回の話は、来月に辞職する社員Aさんと一年以内に辞職すると思われる社員Bさん、そして先月に新スタッフとして採用したCさん(いずれも日本人ではない)について、僕が学ばされた話となります。

Aさんは、母国でも同業種の職務経験がある、僕の少し先輩。
彼女はこれまでの記事に書いたような「目先の利益にしか興味をもたず、短期的に見て楽な方を選ぶ」タイプかつ年功序列マインドの強いタイプでもあり、先日も、新入スタッフのCさんが他の優先すべき仕事をもっていたにも拘らずCさんにAさんの仕事を押しつけていました。

その場面を見て僕としてはAさんが職務怠慢をしているように思えたので、Aさんに対し「マネージャーの意向としては、その仕事はAさんがすべきだと思う。Cさんは他に優先すべき仕事があるとマネージャーは言っていたから、Cさんがその仕事に打ち込めるよう他のスタッフは彼女に協力すべきだ」と伝えたのですが、Aさんは「OK」と返事をしただけで僕の意見を聞き流してしまい、結局Cさんに押しつけた仕事をその日Aさんがすることはありませんでした。

Bさんは、基本的には向上心もあり物事を改善していこうとする意識は高いものの、お金に関してはセコいところがある先輩。
僕の職場にはコミッション制があり、自分の接客により新たな利益を生み出すことができたら個別のコミッションをもらえるのですが、先日Bさんは、僕が接客していたお客を途中で奪い、且つその客が元から買う気でいた商品の全てに対し「これらの商品は全て私の接客により新たに購入させることができた」と主張していました。

上記のようなAさん、Bさんの働き方を見ていると、一見すると彼女達の方が楽をしていたり儲けていたりしているので、そんな彼女達に対し「unfairだ」と、ついつい気分を害してしまいました。
(前回までの教訓がまだまだ体に染みついていません。反省)

一方、先月に新スタッフとして入ってきたCさんは、同業種で働いたこともなく英語も初級のため非常に過酷な環境であるにも拘らず、接客に対しても泥臭いアプローチを嫌な顔一つせずに継続させ、周りのスタッフが雑談をしていたりとユルい雰囲気を出していてもそれに流されず、一人黙々と商品知識を増やしたり英語を鍛えたり、ともすれば休憩時間を取らないで毎日仕事に全力(もとい、全力以上)を注いでいる。
本人の話を聞いていても、何か別の目的のために辛いながらも仕方なくその仕事を頑張っているというよりは、そもそもそういう性分でやっているというような口ぶりでした。
※余談ですが、彼女はコミッションについてもあまり自己申告をせず、先日間違って彼女の給料が二倍振り込まれていたときも顔色を変えて真っ先に僕に相談してくるなど、上述の休憩時間を取らない件といい、彼女は目先のお金よりも「自分の成長」を優先させているようで、以前に投稿した「美しい生き方」を、僕なんかよりもずっとひたむきにやっているように感じるので、人間として本当に好感が持てます。

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せっかく咲いたのに、また雪。。
見ている分にはキレイですが


そんな彼女達の三者三様の行為を目の当たりにし、僕自身またいろいろと考えさせられました。
AさんやBさんに対する負の感情については、以前に投稿した教訓及び休暇中に訪れた自給自足生活をしているホストファミリーとの人生観における対談などのおかげですぐに落ち着きを取り戻せたのですが、Cさんに関しては本当に見習うべきところがたくさんあり、彼女は上記3人の中では唯一の後輩であるにもかかわらず、正直に言うと彼女の働き方を目標にしている自分がいるほどです。
(別に恥ずべきことではないでしょうが)

実を言うと、最近自分の接客がそこまでお客様に新たな購買意欲を生み出せているように思えていないタイミングだったこともあったため、余計にこのCさんの向上的な姿勢が強調されて映ったのかも知れません。

そんなタイミングで冒頭のエルバート・ハバードの格言に出会ったので、その翌日にその格言を体現しようという気持ちで心を込めて仕事に打ち込んだところ、心なしかお客様の反応もよく、何より自分の中でとても充実した気持ちでその日は仕事をすることができました。

まだまだ幸せな人生にするためには学ぶことがいろいろとありますが、こういった経験や意識づけを一つずつ増やしていって、これからも少しずつ前に進めていきたいと思います。

最後に、エルバート・ハバードの他の格言も自分用の備忘録として、下記に載せておきます。

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余暇をどう使うかというのは、
人格を試すテストである。

天才とは、
絶え間なく努力を続けられる
人間のことである。

報酬以上の仕事をしないという人は、
仕事ぶりに応じて報酬が上がっていく
ということを忘れている。

一日に少なくとも一つは、
自分の力が及ばないような事を、
成し遂げようとしない限り、
大した成功など期待できるものではない。

人間が本当に心を打ち込んで事に当たるならば、
右手を二本得たようなものである。

人生で成功できない人に共通しているのは、
せっかくの失敗を経験として
生かすことが出来ないことである。

心を込めて仕事をするようにしなさい。
そうすればあなたは必ず成功する。
なぜそんな事が言えるかと言えば、
大半の人は、それほど心をこめて
仕事をしている訳ではないからである。

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寒かったNZにも、また春がやってきました。

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ジャケット写真にしたくなるようなアングルで一枚

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9月下旬のニュージーランド。
こちらも春はキレイな桜が咲きます。

※今回も、自分自身の備忘録としての側面が強い内容となっています。

【美しい生き方】

引き続き同僚の中国人Aが何を言っても腹の立つ返事をしてくるので、気分が悪くなり久々に憎しみの感情を覚えてしまいました。反省。。

ただ、それは社会的に責められるべきことや疚しいことを彼女がしてしまった際、僕が共感や許しの言葉をかけた場合に特に強く起こります。
→彼女は彼女自身の良心がとがめているとき、許してもらうよりもむしろ叱責されたいのかも知れません。まるで「叱責されないと疚しさから解放されない」というようなプログラミングが彼女の中でできあがっているかのようです。
※この仮説が正しかった場合、そんな中で共感・同情・許しの言葉を与えるのは却って彼女の浄化を阻害することになっていたのかも知れませんが、その場合の彼女の救い方は前回の通りなので、今回はここを掘り下げません。

このトラブルに対して、初めは前回のブログで書いた通り、甘い許しの言葉ではなく苦くても栄養のある言葉を与えることが一つの解決法だと思いましたが、今回は何が問題かと言いますと、自身が慣れていない或いは根本的にその方法が好きでないからなのか、この解決策の効果が彼女に現れるかどうか以前に、彼女を叱ること自体ができないわけです。

このように彼女を叱ることができない原因は、「僕は後輩なので、注意するのは おこがましい」、「彼女はグチや泣き言や文句が多く建設的な会話の少ないタイプなので、注意はおろか会話する気にもなれない」、「被る必要のないトラブルにも巻き込まれたくないので、素性の不詳な人を怒らせるかも知れない危険な行為をワザワザとりたくはない」等の感情が彼女に対して働くことがメインだったのではないかと思います。

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実は先月末から先週まで3週間ほど長期的なメンタル不調に悩まされていたのですが(なかなか解決できない問題がたまたま重なったのが恐らくの原因)、先日そんな参った状態でいると これまた同僚の中国人Bが様子を察して声をかけてきてくれたので、これまでのイキサツを聞いてもらうことに。

Bからの回答は、「どうでもいいことにまでイチイチ全力をそそぎ過ぎ。効率が悪い。相手に合わせようとして心にもない優しい言葉を無理に彼女へかけているように見えるし、もしそうだとしたらそれはエネルギーを浪費しているだけでしかない」でした。

もし僕の見据えるゴールが「自分の今の力量でオーバーヒートしてしまわないような、楽な生き方をする」であったとしたら、Bのアドバイスは正しいでしょう。
ただ、実際の僕のゴールは「美しい(定義は後述)方法から外れないままで、彼女との関係を改善する」だったため、Bに対し「精神がマイっているのは事実だけど、だからといって普通の人なら諦めるという理由だけでは僕はまだ自分のやり方を諦めたくない。僕はただやりたい方法を自分で選択してやっているだけだし、今回のBのアドバイスもBの考えるゴール自体がそもそも僕のゴールと違っているから、Bのゴールを基準にして考えると無駄な行動に思われても仕方ないが僕のゴールの基準では今も着実に自分のゴールに向かって歩を進められていると思う」と答えました。案の定Bの理解を越えていたようで「普通の人になりたくないって、あなた abnormal(異常)になりたいの?」と言われる始末でしたが。

僕自身がとても頑固で変わっていること自体は別に否定しませんが、テクニックで使うだけならまだしも、ミイラ取りがミイラになるかのごとく彼女達と同じ次元の価値観にハマってしまうことは避けたいのです。その価値観が「自分の人生をより良くしてくれる」と どうしても思うことができないので。

なぜその価値観を自分は忌避するのか。また一週間ほど悶々と考えて、先ほど少し納得のいく考えにたどり着きました。

その考えとは、僕が「美しい生き方をすることが、自分の人生をより幸せにしてくれる」という価値観をもつようになっている、という考え方です。

ここでいう「美しい生き方」とは、

・目先の小さな利益ではなく、たとえ最初は損失のように見えても長期的にはより大きな利益となるようなもの・ことを優先する生き方。
・物質面の充実よりも、精神面の充実をより重視する生き方。

【具体的な事例】
・Aや白人の同僚は、仕事に少し遅れてきたり仕事中も少しでも休み時間を多く取ろうとしたりと、躍起になって目先の小さな利益ばかり追い求めているが、上司に見つかって怒られ不機嫌になったりと、長い目で見ると彼らの生き方は必ずしも「より幸せになっている」ようには見えない。
・前述の通りBから「無駄に努力をするな」と言われたが、そんな彼女は永住権を欲しがっているのにそれに向けた努力をしておらず、こちらが有益な情報を教えても「その方法は面倒だから取りたくない。もっと楽な方法じゃないと頑張れない」と返し、いつも会話の締めくくりは「Life is hard」。僕はこのように努力をしていないのに結果が出ないことを嘆く人の話を聞くのは好きじゃないし、自分もそういう嘆きは自分からはできるだけしないように心がけている。
・僕は、「お金に不自由がなく何でも買えるのに嫌な人に囲まれる生活」よりは、「贅沢なものは何一つ買えないけど、嫌な人と関わることなく、一緒にいるだけで幸せになれるような人達と暮らせる生活」の方が好きだ。「安いシェアハウスでグチばかりケンカばかりの家に住む」よりは、たとえ2倍の家賃でほとんど貯金ができなくなってしまっても、「建設的な会話のできる気持ちの良い人と暮らす生活」の方を好む。この話をすると賛同してくれる人も多いが、いざフタを開けてみるとたとえ僕の意見に賛同している人でも結局のところ前者のような行動を取っているケースは決して少なくない。
※自分も毎回必ず思った通りの環境を手に入れているわけではないが。

僕は問題が発生したとき、それが難解な場合および解決までに時間がかかる場合はもちろん「その未解決な問題が早く終わってほしい」と抑鬱状態になったりもするが、その未解決問題の「終わらせ方」については「脱落したい」と思う以上に「強くなって乗り越えたい」と考える。「脱落するのは、みっともない」という虚栄心がモチベーションになっている部分も大きいが、できれば何事もハッピーエンドで終わらせたいのという欲望もあるし、問題に対し「ダメだ。できない。無理だ。能力が足りない」と思うよりは「どうしよう。どうやったらここに残ったまま無事に解決できるだろう」と建設的な方向に物事を考えたいタイプだと思う。もちろん絶望的な気持ちになることも少なからずあるが、たとえ絶望的な気持ちになったときでも、命や信念(上記の「美しさ」に対する信念)を冒されるギリギリまでは、後ろではなく前を見ていたい。

以上、自分の心のメカニズムとその操縦の仕方が少しずつ見えてきたので、これからは負のエネルギーを長期間ぶつけられてマイってしまったときに下記の考えを思い出すようにし、この考えがいつも自身のメンタル改善に効果を出すのか、そしてまたこの考えが自分にとって無理なく長期に渡って行えるものなのかについても検証していきたいと思います。

【今回の教訓】

『相手に 負のエネルギーを長期間ぶつけられマイってしまったときは』

自分にとって「美しい」と感じる生き方ができているかどうかを再確認。もしそれができていれば、「相手ばっかりストレス発散できて、何だか自分だけが損をしているような気分だ」と無駄にストレスを溜めることなく、「自分はこの人と同じレベルの利益や幸せを求めているわけではないし、この人と同じレベルの人生を歩みたいわけではない」と、上手に自分の気分が害されるのをサッと避けることができる。

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休日に Farmers' Market へ



【愛 - purification of your soul】

不味い食べ物をプレゼントして相手に受け取ってもらえなかったら、その料理は自分の手元に返ってくる。

美味しくて体に良い料理をつくって相手に受け取ってもらえなかったら、その料理は自分が食べることになる。

ケーキやお酒も、相手に差し出して受け取ってもらえなかったら、それらは一体だれが持っているのでしょうか?
そう、「自分」です。


いきなり何の話をしているのか、サッパリ分かりませんね。。
スミマセン。

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今日のテーマは、「愛」について。

※今回は備忘録の要素が強いため、まとまりがありません。ご容赦ください。

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「自分たちを傷つける者まで愛するのが、人間の義務である」
Marcus Antonius(ローマの将軍)

「愛しなさい、そうすれば愛される。愛はすべて数学的で、代数方程式の両側面のように公平である」
Ralph Waldo Emerson(アメリカの哲学者)


「愛は永遠である。たとえ、あなたの愛が報われなくても、その愛は逆流し、あなた自身の心を和らげ、清めてくれる」
Washington Irving(アメリカの作家)

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愛とは何か。


最近、そんなことを考えさせられる出来事がありました。

何があったのかといいますと、現在とても仲良くしている中国人女性の同僚が2人いるのですが、最近、それぞれ別の日に彼女達からイライラをぶつけられたのです。

両ケースとも、最初は「きっと彼女もどこかでイライラすることでもあったのだろう。それをこちらまでイライラで返してしまっては芸がないから、ここは相手のポジティブな面を見つけて褒めてみることで、相手の気分を少しでも和らげてみよう」と思い、彼女達がイライラしている原因や、その問題に対しどう立ち向かおうとしてるかといったことをいろいろと聞いてみまして、そしてその彼女達の問題解決姿勢や行動について個人的に良いなと思ったことに関しては「その考えはとても良いと思う」と、口頭でキチンと相手を肯定するよう努めてみました。

「これで彼女もきっと、気分が少しは晴れてくれることだろう」と期待しながら自分なりにベストを尽くしたつもりだったのですが、残念ながら彼女達から返ってきた反応は両者ともに「何にも良くない!」といった感じで、彼女達の否定的な反応を覆すことができなかったのです。

そして、この彼女達と僕との間に起こっている状況がそのとき全く理解できなかった僕は当惑してしまいまして、「何とか気持ちを落ち着かせてほしいと必死でこちらは頑張っているのに、その尽力に対し何て子ども染みた反応なんだ!」 「…だけど、こちらのやり方にも何か問題があったのだろうか…?」と、彼女達に対して憤慨したり落ち込んだりしてしまいました。

しかし、この想定外の状況を解明しないまま、今後も同じような状況になったときにまた同じ目に遭うというのはやはり良ろしくないだろうと思いましたので、今回のようなケースで「何が自分を不快な気分にさせたのか」、「どういう対策を取れば、不快な気分に陥らずお互いにより良い結果を生み出せるのか」について、自分なりに考えてみることにしました。

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【 何が自分を不快な気分にさせたのか 】

今回の両ケースをよくよく検討すると、先ほど僕は「良いと思ったことは肯定した」と申しましたが、正直な心境を打ち明けますと、「すぐに相手からポジティブな言葉や感謝の気持ちを返してもらえるようにするには、どうしたらよいか」ということばかりに意識が向いていて、相手の考えに対し個人的に良くないと思った部分に関しては「これを指摘するとネガティブな反応をされそうで困る!」と思い一切口に出さなかったのです。

このように振り返ってみると、どうもこの辺りに問題がありそうな気がします。

もしかしたら、彼女達が求めていたのは「ただ優しいだけの慰めや共感、同情」といった類のものではなく、「ビシッと良くないところも指摘してくれる、本当の意味で彼女達のためになるアドバイス」だったのでしょうか?

と、ここまではあくまで推測の域を出ない考察なのですが、次に、この相手の反応に対しナゼ僕自身が不快な気分になったのか。

これについては数日考えてみたのですが、下に述べる考え方(例え方)が現在の自分の中では一番シックリときているので、このブログに備忘録として書き留めつつ、今後似たようなケースが再発した場合に果たして同様に当てはまる考え方なのかどうかを、このさき何度か再検証していきたいと思います。

『自分が不快な気分になったメカニズム(哲学的)』

・「相手に与えた物を相手が受け取ってくれなかったら、それは多かれ少なかれ自分に返ってくる」という法則が存在する。
※これは物に限らず、気持ちや言葉についてもある程度おなじように考えることが可能。
・相手の良いところ、相手が克服していることや長所などを褒めるという行為は、喩えるならケーキをあげているようなもの。たまに食べると甘くて美味しいかも知れないが、三食ずっとこればかりだと体にも良くないし、気持ちも悪くなる。
・耳に痛いことでも相手のためになるであろうアドバイスや真実、真理の類などを伝えることは、喩えるなら野菜をあげているようなもの。人によっては味気なく感じたり不味いと感じたりするかも知れないが、三食ずっと野菜であっても大きな問題にはならないし、健康を保ってくれたり成長を助けてくれたりもしてくれる(少なくとも害になる可能性は、限りなく低い)。
・以上より、僕は彼女達に対しケーキを与え続け、それを受け取ってもらえず僕には不要なケーキが自分に返ってきたため、不快に感じた。
※この喩えだと、「もし僕がケーキ(慰め・共感・同情など)を必要としていた場合は、たとえ相手が受け取ってくれなくて自身に返ってきても不快に感じないハズじゃないか?」という疑問も出てきますが、その検証は機会があれば改めてするとして、とりあえず今回はノータッチでいきます(もしかしたら、人は誰もケーキを本当の意味では必要としていない、という可能性もありそうですが)。

【 どういう対策を取れば、不快な気分に陥らずお互いにより良い結果を生み出せるのか 】

・前述の「野菜(耳に痛いことでも相手のためになるであろうアドバイスや真実、真理の類)」を相手に与える。
・そうすると、最初は相手も怒り出したり泣き出したりといったネガティブ(と一般に評価される)な反応をするかも知れないが、いずれ相手の成長(精神的な)に繋がる可能性が出てきて、最終的には相手とより良好な関係を築くことができる。
※相手が全く不快な気分を返上できないままであった場合は、それはそれで「お互いの精神レベルが違っていた」というだけのことであり、そのまま疎遠になるか、それともお互いに精神レベルを近づけるよう努力するのか、はたまたお互いの精神レベルの違いを尊重したまま付き合い続けるのか、いずれにしても「本心を包み隠したまま」でいた頃よりもよっぽど前向きな(あるいは満足のいく)結果になるのではないでしょうか。
・そして、たとえ相手がこの「野菜」を受け取らなかったためそれが自分の手元に残ったとしても、別に自分の体にも良いものなので、不快な気分に陥らないように済ますことができる。
喩えではなく実践的な考え方に置き換えると、たとえ耳に痛かろうが相手のためになると本心からそう思えるような心のこもった意見を相手に伝えたにもかかわらず相手がネガティブな態度を変えなかった場合であっても、「こちらは全く悪意もなく、嫌われるリスクを負ってまでただただ相手のためにできることをし尽くしたんだから、もう後の反応については相手に任せよう。相手の反応についてはもはやこちらが関知する範囲のことではないけれど、もし遅かれ早かれ僕の意見が『役に立った』と感じてもらえるときが来てくれたなら、それはそれで嬉しいな」といったような姿勢を常に心がけることができれば、少しは自分の不快な気分を減らすことができるかもしれないし、上手にやれば常に清々しい気持ちでこの考え方を実践していけるかも知れません。

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しばらく、以下の合言葉を普段から心で唱えるようにしつつ、様子を見てみたいと思います。

「人と接するときは、野菜をあげるように心がけよう。その野菜は、もしもらってくれなくて自分の手元に残っても不快にならないような野菜であるように 心がけよう」

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タスマニア生活での完全オーガニックな野菜料理

【「徹底的に言いたいことを言う」その効用】

QT
ニュージーランドは夏真っ盛り

オーストラリアやニュージーランドでの生活も
3年近くが経ち、
その中でご縁ありまして
「自分の得てきた知識・経験・考え方」について
尋ねられるというありがたい機会を
何度かいただきました。

僕自身は
自分の意見を言うことが比較的
好きな性格なので、
こういった機会をいただくと
自分の思っていることを
喜んで話す方なのですが、
そういうことを話す際に
「気をつけておかないといけないな」と感じたり
「そういうことか」と新たに発見したりといったことが
あったので、今日はそれについて
書き留めておきたいと思います。

僕は、自分で言うのもなんですが
かなり意識して
人に気を遣うタイプなので、
誰かと話しているときに
自分の言動が原因で
問題を起こすということは
そんなにないと
(あくまで主観ですが)
そう思っています。

そして個人的には、
どんな立場関係の人とであれ
できるだけ
「(良い意味で)
お互い対等な立場」
であるかのように心掛けて話します。
※挨拶や言葉遣い等
最低限の礼儀・マナーについては、
もちろん自分の立場を
キチンとわきまえた上で
適切に使用しています。

こうすることによって、
(社会通念上)立場が
上の人に対しては
過度なオベンチャラを使わず
中身のある話を重視するため、
そういった姿勢を求める人にとって
僕の存在は
好ましく思われるだろうし、
また、立場が下の人に対しても
できるだけ緊張を解すような
姿勢をとることによって、
彼らもリラックスできて
お互いに良好な関係を
築くこともできるし、
僕自身も彼らから
ノビノビとした本音の意見を
聞き出すことができます。

ちなみに、商社時代のときは環境自体が
徹底的な上下関係によって成り立っていたため、
僕のこの「イーブン」姿勢は
上司先輩からは
「生意気だ」と疎まれたり、
後輩からもナメられたりと、
短期的、表面的な
弊害はありました。
が、僕自身はこの
「とりあえず上下関係に従う」という
システムの非効率で非生産的な
面ばかりに意識が向いていたため、
「立場を超えて、もっとノビノビと
忌憚ない意見が言い合える
環境にした方が絶対に
相手も満足できるだろうに」と
ずっとそう思い続けていて、
この僕の「対等に接する」という
考え方の方が絶対に優れていると、長く僕の中では
そう強く信じていました。

さて、そんな信念を持ちながら、
オーストラリアや
ニュージーランドでも
「自分がこれまでに得てきた
知識や考え方」を
聞かれて話す機会が
何度かあったため、
相手にもできるだけ
リラックスしてもらえるように、
できるだけ彼らの意見も
ノビノビと言ってもらえるようにと
意識して毎回話していたのですが、
何と逆にこのスタンスが
原因かと思われるような
トラブルが
何度かあったのです。

こちらとしては、
相手が尋ねてきたので
僕の見解や知識を
述べただけなのですが、
それが相手の考え方と
大いに異なった場合に、
相手方が感情面で僕の意見に
納得できなかったのか、
結局僕に対して
いわゆる逆ギレ・逆恨みのような
感情を抱いてしまったのです。

その現象に対し、僕も最初は
「おいおい自分から求めておいて
何て自己中で失礼な態度なんだ。
こっちが丁寧に接したことで
逆に安心してそんなワガママな感情をぶつけたというのであれば、
それは恩を仇で返すかのような、
成人として最低の態度だぞ」と
心の中では憤慨しつつも、
一度ならずこのハプニングが
起こったため
これはもう少し状況を考察して
何とか原因を解明し、改善させないと
と思うように。

ここで思い出したのが、例の商社時代の先輩たち。彼らは前述の通り
「絶対的な権威」
「理不尽なことでも、
とにかくガンガン怒る」といった
姿勢を徹底しており、
当時の僕はそれに対して
「何の効用もない」と
激しく嫌悪していたのですが、
よく考えると
そこから何か得られるものがあるのではないか?と。

思えば僕は学生の頃から自身の
「考える力」に強い自信を
持っていたため
いわゆる生意気な性格でもあったし、
納得できないことに対する
怒りや反骨心も強かったので、
その当時の僕の姿勢は
ビジネス営業面においては
まだまだ甘い姿勢だったのですが
だからといってそんな自分の性格や
心構えを変えることは
ほとんどありませんでした。
しかし、これら上司先輩と出会い
「この人たちには絶対に
反抗してはいけないんだ」
という考えが
徹底的に刷り込まれたことによって、
お客さんに対する姿勢等を含め
甘かった自分の姿勢は
実際かなり矯正されることに。

この「キツい指導姿勢」によって得られる
「姿勢の矯正」というメリットは
これまでずっと見過ごしていた
(過小評価していた)のですが、
よくよく考えると
決してあなどることのできない
とても大きな
プラス面なのではないか、と思うようになりました。

心構えや性格、ものごとへの姿勢
といったものを
改善させるというのは、
よほどの強いモチベーションや
キッカケがないと
難しいと思います。
なぜ難しいかというと、
人間を含む全生物のほとんどが
現状の環境や生き方を
維持しようとする本能
(ホメオスタシス)を
持っているから。
ということは、
その現状維持欲求を変えるには、
「現状の生き方では
安心した生活を維持できない」
といった状況に
長期間晒すことが当然有効だろう、と。
なぜ有効かというと、
ホメオスタシス自体が即ち
生物の「生存したい本能」の
ことであって、
生物がこの
「生存したい本能」を
持っている限り
不快な環境に行けばそれに
適応するため新たな習性を
習得しようとするから。


ということで、
「なぜ逆恨み的な状況が
発生したのか」についての
メカニズム解明と対策が
大まかに見えてきました。
次は、具体的にどう
自分の問題へと適用させるか。

単純に考えた適用法としては、
何でもかんでもシタテに出て
プレッシャーを与えないように
話すだけではなく、
違うと思ったときは
ガツンというようにすること。
意見の主張し合いが
日常であるの西洋社会では
皆それに慣れてるので
こちらもズケズケと
主張しやすいですが、
もし日本で
口論自体にあまり免疫のない人へ
ガツンとやってしまうと、
それこそ相手の感情コントロールが
きかなくなって
事件沙汰になっても困るので、
実際これは成人してからの
日本人を相手にやるのは
なかなか難しいそうではありますが。。
いや、ただ自分も
怒り慣れていないから
ビビってるだけかも知れないし、
また一度慣れれば
怒り方の加減だって
ドンドン上手になっていくだろう。
やってみる価値はありそうだ。

結局、怒りというのは
人間にもプロパーで備わっている
極めて自然な感情だし、
愚痴や文句などの
メンタル的な排泄行為も
健全なメンタル維持には
大事なことだと思うので、
できるところからやっていこう。

ということで。
とある友人の協力を得て
すでに2週間ほどお互いに
キツく言う練習をしています。
最初はオッカナビックリやっていて
お互いにホメオスタシスが働き険悪なムードが漂ったりと
危機的状況もありましたが、
「ここからが大事だ」ということで
お互い敢えて引かずに
言いたいこと(耳に痛いこと)を
言い続けてます。

実際に続けてみて感じたのは、
言いたいことをちゃんと言って
険悪なムードもどうにか乗り越えた
(or 言われ慣れた)後というのは
何か気持ちいいというか、
良い意味で相手への気遣いが薄れて
お互いの距離感が縮まるような
感覚がありました。

極端に言えば家族のような、
「お互いに耳に痛いことも
言い合えるけど、
かと言ってそれで
縁が切れることは決してない」
みたいな安心感というか
信頼関係というか。もちろん、お互いの心の内を伝え合うので気心も知れてくる分すれ違いのストレスも減り、長期的にはトラブルも回避できそうに見えます。
ということで、商社時代を含め
ずっと忌避してきたこの
「キツく言う」という姿勢ですが、
ここにきて意外な果実を
見出すことができたので、
前述のホメオスタシスの影響もあり
急に性格を変えるのは難しいものの
何とか意識して上手に
その姿勢の良い部分を
取り入れていきたいなと思います。
qt2
 絶景を見ながらビールで乾杯

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